1月31日の土曜日「学びあい支えあい」地域活性化推進事業 人とのふれあいエピソードの朗読コンサートが行われます。
長~い名称のこのコンサート、開催は今年で2回目。昨年は熊谷市の市民文化センターで開催されましたが、今年はさくらめいと太陽のホールで13:30から。入場無料ですが、残念ながら整理券が無ければご入場いただけません。整理券はすでに予定配布数が終了してしまいました。
そこで、そのコンサートで朗読される作品のうち1点をご紹介します。この作品はエール学院の社員が投稿したものです。
「大切な人がそこにいる幸せ」
2004年6月。長崎県佐世保市で、小学6年生の女児が同級生の女児を殺傷する事件が起きました。
ごく普通の家庭で育ったごく普通の女の子と思われていた女児が人を殺す。衝撃的な事件であり、大きく報道されたので、記憶されている方も多いことでしょう。この事件は大人達に、社会に、さまざまな課題を投げかけました。そしてまだ、その糸口すら見つけられていないのが現状です。
以下に、被害者の父親が書いた手記を全文そのまま掲載します。
さっちゃん。今どこにいるんだ。母さんには、もう会えたかい。どこで遊んでいるんだい。さっちゃん。さとみ。思い出さなきゃ、泣かなきゃ、とすると、喉仏が飛び出しそうになる。お腹の中で熱いボールがゴロゴロ回る。気がついたら歯をかみしめている。言葉がうまくしゃべれなくなる。
何も考えられなくなる。
もう嫌だ。母さんが死んだ後も、父さんはおかしくなったけれど。それ以上おかしくなるのか。
あの日、さっちゃんを学校に送り出した時の言葉が最後だったね。洗濯物を洗濯機から取り出していた父さんの横を、風のように走っていった、さっちゃん。
顔は見ていないけど、確か、左手に給食当番が着る服を入れた白い袋を持っていたのは覚えている。
「体操服は要らないのか」
「イラナーイ」
「忘れ物ないなー」
「ナーイ」
うちのいつもの、朝のやりとりだったね。
五人でいろんな所に遊びに行ったね。東京ディズニーランドでのことは今でも忘れない。シンデレラ城に入ってすぐ、泣き出したから父さんと二人で先に外に出たよな。父さんは最後まで行きたかったのに。なんてね。
でも、本当にさっちゃんは、すぐに友達ができたよな。
これはもう、父さんにはできないこと。母さん譲りの才能だった。
だから、だから、父さんは勝手に安心していた。
いや、安心したかった。転校後のさっちゃんを見て。
母さんがいなくなった寂しさで、何かの拍子に落ち込む父さんは、弱音を吐いてばかりだった。
「ポジティブじゃなきゃ駄目よ、父さん」
「くよくよしたって仕方ないじゃない」何度言われたことか。
それと、家事をしないことに爆発した。ひどい父さんだったな。許してくれ。
家の中には、さっちゃん愛用のマグカップ、ご飯とおつゆの茶碗、箸、他にもたくさん、ある。でも、さっちゃんはいない。
ふと我に返ると、時間が過ぎている。俺は今、一体何をしているんだ、としばらく考え込む。いつもなら今日の晩御飯何にしようか、と考えているはずなのに、何もしていない。ニコニコしながら「今日の晩御飯なあに」と聞いてくるさっちゃんは、いない。
なぜ「いない」のか。それが「わからない」。新聞やテレビのニュースに父さんや、さっちゃんの名前が出ている。それが、なぜ出ているのか、飲み込めない。
頭が回らないっていうことは、こういうことなのか。さっちゃんがいないことを受け止められないっていうことは、こういうことなのか。
これを書いている時は冷静なつもりだけど、書き終えたら元に戻るんだろうな、と思う。
さっちゃん。ごめんな。
もう家の事はしなくていいから。遊んでいいよ、遊んで。
お菓子もアイスも、いっぱい食べていいから。
2004年6月7日 御手洗 恭二
長崎・佐世保小六女児殺傷事件の被害者の父である御手洗恭二さんが、被害者の「さっちゃん」さとみちゃんにあてた手紙を引用させていただきました。
その日、事件のあった朝、お父さんはさっちゃんの顔は見ていなかったそうです。後日、その事に触れ、朝ごはんを食べているさっちゃんの顔を見て、何らかの会話をかわしていれば、大人としてさっちゃんに友達関係の修復の術を与える等の対応ができたのではないか、最悪事態は未然に防ぐことができたのではないか、とコメントしていらっしゃいました。
私はこの手紙を、私のよく使っている仕事用のファイルに入れていて、自分が疲れていて子どもに八つ当たりしそうな時にそっと見ます。
少しくらい着替えが遅くても、靴下を裏っかえしに洗たくに出していても、 いいんです。
多くは望まなくてもいいんです。
だって自分の大切な人たちが、生きて、笑って、ごはんを食べている。
こんな幸せなことってありますか?
手記を書かれた御手洗 恭二さんからはコンサートの成功をお祈りくださるというメッセージを頂戴しました。